出典:Pinterest
長谷川博己さんは、中央大学文学部を卒業しています。中央大学と言えば、難関大学MARCHの一角ですね。長谷川さんは高学歴だったのです。
高学歴な長谷川さんですが、実はお父さんは大学教授でした。お父さんは早稲田大学を卒業して学者になった方ですから、長谷川さんが高学歴なのもうなずけます。
そんな長谷川さんのお父さんは、長谷川堯(はせがわたかし)さん。建築評論家であり、学術分野で受賞もしている正統派の大学教授です。
では、長谷川さんのお父さんが、どんな人なのか詳しく見ていきましょう!
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長谷川博己の父・長谷川堯は大学教授だった!
出典:目黒区美術館ホームページ
こちらが長谷川博己さんの父である長谷川堯さんです。
実は、建築界隈ではかなり有名な方のようで、その界隈では「長谷川博己の父が大学教授」という認識の仕方ではなく「長谷川堯の息子が俳優をやっている」と認識しているみたいです。
最近知ったのだけど長谷川なんとかいうシン・ゴジラの主役の俳優さんの父が長谷川堯なんですってね。 pic.twitter.com/NKsAtNE7yB
— ❄️新稲法子❄️ (@niina_noriko) June 9, 2017
主演の人が建築史家の長谷川堯さんの息子さんという事実の方に驚く。 https://t.co/kf9mYOiXbp
— 羽鳥 達也 (@_HATORI_) August 13, 2016
ちなみに、長谷川博己さん一家は妹が1人いる4人家族でしたが、母と妹は一般の方みたいです。
それでは、父・長谷川堯さんのプロフィールを確認していきましょう。
父・長谷川堯のプロフィール

出典:FACTOPI
名前:長谷川堯(はせがわたかし)
生誕:1937年6月16日
死没:2019年4月17日(享年81歳)
出身:島根県松江市
死因:がん
学歴:早稲田大学第一文学部卒業
経歴:武蔵野美術大学名誉教授
肩書:建築史家、建築評論家
お名前の「堯」という字は「たかし」と読みます。難しい漢字ですね。
仕事はいわゆる学者であり、武蔵野美術大学で【助教授→教授→名誉教授】と出世していきました。専門は建築史とのことです。
ちなみに、建築史家とは「建築の歴史を研究する人」のことで、決して「建築家」ではありません。建築というと、どうしても素人からすると「え? 一級建築士とか、そういう感じなの?」と思ってしまいますよね。
でも、建築家とか建築士というのは「実際に家を建てるための設計をする人」であり、実務をこなす職業です。学者や研究者とは別の仕事内容ですね。似ていますが、建築家と建築史家は似て非なるものです。
ちなみに、具体的な身長は公表されていませんが、「朝日新聞デジタル」の記事では、次のように長谷川堯さんが紹介されていました。
長身でダンディー、そして柔らかな声が忘れられない。
引用元:朝日新聞デジタル
長谷川博己さんは「182cm」と高身長であることが有名ですが、それは「長身でダンディー」な父親の遺伝子を受け継いでいるからかもしれませんね。

長谷川博己の父・長谷川堯は2019年に死去
出典:朝日新聞デジタル
偉大な父を持った長谷川博己さんですが、残念ながら、父・長谷川堯さんは2019年4月、がんのため亡くなりました。享年81歳でした。
新聞の訃報欄にも掲載され、長谷川博己さんの父であることが改めて話題となりました。
長谷川博己の父・長谷川堯の業績
出典:朝日新聞デジタル
それでは、父・長谷川堯さんの学者としての業績を確認していきましょう。
まず著作ですが、単著で17冊あります。共著1冊を加えると、全部で18冊です。
これは、かなり多いです。理系の学者は著作よりも論文が重視されますが、評論家のような文系の学者の場合は逆で、論文より著作が優先されます。単著が多い学者は有能な学者と評価されるのです。
単著が1冊も無い「なんちゃって大学教授」は山ほどいますからね。共著ばっかりで単著を書かない(書けない)学者も大勢います。そう考えると、長谷川堯さんは非常に立派な学者だったのだろうと思います。
『建築有情』長谷川堯 著#イケフェス ガイドブックで倉方先生のコラムに引用されていた、生きた建築についての文章が載っている。イケフェスまでに読むー。ちなみにこの著者の方は、俳優長谷川博己さんのお父さま。 #イケフェス2016 pic.twitter.com/XNL1u2AtXG
— かげやん (@kageyankageko) October 26, 2016
長谷川堯さんは学術賞も受賞しており、1975年に『都市廻廊』で毎日出版文化賞、1979年には『建築有情』でサントリー学芸賞を受賞しています。
ちなみに、サントリー学芸賞は学術賞の中でも、かなり有名な賞です。おもしろい作品が結構あったりします。
建築史家・長谷川堯に対するネット上の声
長谷川堯『神殿か獄舎か』、むちやくちや面白かつた。
— じゆにち (@Njolrmosh) July 14, 2009
相田武文のPL学園幼稚園に関係する論考の中で、長谷川堯が「デイトの度にイケてる服で来ていた女の部屋に初めて行ったときの寒々しさとベッドの冷たさ」みたいなこと言っててウケたんだけど前後の文脈忘れた pic.twitter.com/JImXXOUjDU
— Risako Okuizumi (@ti_ti_ooooo) May 2, 2016
長谷川博己が建築史家の長谷川堯の息子だと初めて知った、ということは長谷川博己は父が評論した幾多の名建築をなぎ倒したゴジラに敵討ちを挑むわけだ
— 透明ランナー (@_k18) July 29, 2016
長谷川堯さんは建築史家として、かなり影響力を持っていた方のようで、Twitterを検索すると、いろいろな声を聞くことができます。中には、実際に大学で講義を受けたことのある人も…。
今、気づいた!シンゴジラの長谷川博己は、建築評論の長谷川堯さんの息子さんか!長谷川堯の息子さんが役者を…みたいな話はきいたことあったけど、役者として知らなかった。長谷川堯さん授業きいたことある。
— やまうち🌤️ (@takashiyam) November 7, 2016
わたし、今、ウィキペディアみてビックリして叫んじゃいました。長谷川博己って長谷川堯先生の息子なのか!(大学て授業とってたよ…汗)長谷川先生も格好良かったけど、あんまり似てないような…先生はお髭ダンディだったしな…わぁ、まだドキドキしてるよ(*_*)
— ぐーるど ( gould ) (@guruguru_gould) March 17, 2013
長谷川博己さんは「お髭ダンディ」という感じではありませんね笑。
長谷川博己は父親のサバティカルで1年間イギリス暮らし
実は長谷川博己さん、小学3年生のとき、父親の都合で1年間イギリスに住んでいた経験があります。詳しいことは明らかにされていませんが、父親が大学教授だったことから、これは「サバティカル」だったと思われます。
サバティカルとは、大学教授に与えられる1年間の長期休暇のことです。長期休暇と言っても、実際に休むわけではなく、海外の大学に在籍しながら自身の研究に注力する制度です。日本では大学教授特有の制度です。
長谷川博己さんは、こうした父親の都合で、イギリスの小学校に入学させられ、言葉が通じない中で集団生活を送る羽目になりました。長谷川博己さん自身は「行きたくない!」と駄々をこねていたそうですが笑。
でも、そのおかげか、長谷川博己さんは映画『シンゴジラ』で流暢な英語を披露しています。裏を返せば、父親が大学教授でなかったら、こんな「1年間だけイギリス生活」というのはあり得なかったでしょうね。
シン・ゴジラ
やっとみれた👀
小出くんみつけてあってなった😂
消防隊長カッコ良かったなぁ~
石原さとみちゃんと長谷川博己さんの英語やばかったな pic.twitter.com/tdBkw6xFkR— miko (@snc_m1223) August 27, 2016
ちなみに、長谷川さん一家はロンドン郊外のウェンブリースタジアムに住んでいたそうですが、そこは労働者階級の地区で、インド人やパキスタン人など外国人の子供が多い地域だったみたいです。
なんでも、長谷川博己さんはインド人とはうまく付き合えたそうですが、パキスタン人とはよくケンカしていたそうです笑。
長谷川博己と父の関係は?会社員を辞めたときに対立
出典:Pinterest
では、長谷川博己さんと父・堯さんとの関係は、どんな感じだったのでしょうか?
実は、長谷川博己さんは大学卒業後、会社員になったのですが、役者の道を進むために1年で退職。そのとき、父・堯さんと大ゲンカしたそうです。
「当時、お父さんは会社を辞めて役者になることを猛反対したそうです。お金がなかった長谷川さんは都内の実家に住みながら役者の稽古に励んでいたのですが、お父さんと顔を合わせるたびに言い合いになるので、次第に会っても口をきかなくなったそうです」(前出・長谷川の知人)
引用元:NEWSポストセブン
一時期は父親と口もきかなくなった長谷川博己さんですが、2010年のドラマ『セカンドバージン』で、例の鈴木京香さん演じる17才年上の女性と不倫する役でブレーク。2011年には、ドラマ『鈴木先生』も話題となって、人気俳優の仲間入りをしたところ、父親との関係も改善されていったようです。
また、父・堯さんの晩年には、頻繁に実家に帰っていました。
「長谷川さんは時間さえあれば実家に帰ってきていました。やはり病気が心配だったんでしょう。当初は役者を反対していたお父さんでしたが、晩年は長谷川さんの出演作も見ていたと聞きます。自慢の息子だったと思いますよ」(近隣住民)
引用元:NEWSポストセブン
父・堯さんにしても、長谷川博己さんが自慢の息子であることを大学の学生に漏らしていたようです。
長谷川博己さんが研究生の頃、長谷川堯先生は院生を連れて早稲田のcafeGOTOで四方山話をしてくださった。「うちの息子は役者をしていましてねぇ」と慈愛に満ちた声でおっしゃり息子が自分で見つけた道を歩み始めたことが嬉しくてならない様子だったのでこれは本当かなと思う。https://t.co/1kEg7tI03h
— fumi (@Happyfumi3) May 1, 2019
一度は溝ができた親子関係ですが、お父さんが亡くなる前に修復できて本当によかったですね。
長谷川博己が「なんでも鑑定団」で父親の浮世絵を出品
長谷川博己さん出演「なんでも鑑定団」で鑑定額25万円だった広重のアレ。 #八重の桜 pic.twitter.com/hPX0WXgvIi
— ポンポコピー (@ponpokopi_2) August 4, 2013
そもそも、長谷川博己さんと長谷川堯さんが親子であると発覚したのは、2011年5月24日放送の「開運!なんでも鑑定団」でした。長谷川博己さんが父・堯さんの骨董品を持って出演したのです。
長谷川さん外には絶対に見せないけど、いろいろな思いを抱えながら真面目に仕事をされてたんだな…萬平さんを見届けてもらえたのが救いだね…
息子を信じて自由に生きさせるのは勇気のいること。
俳優長谷川博己を世に送り出してくださった長谷川堯さんに心から感謝しつつ、御冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/gaH2dlbmQw— こもも (@kaburaran) April 20, 2019
長谷川博己さんが持ってきたのは、三代目歌川広重による浮世絵。なんでも、父・堯さんが自分の本の表紙に使うために、1990年頃に購入したものなんだとか。このときに「父が建築評論家なんです」と明かしました。
気になる鑑定結果は、長谷川さんの予想「10万円」を超えた「25万円」でした。自宅に戻ると、父・堯さんと喜んだそうです。微笑ましいですね。既に関係が修復していたことがうかがえます。
まとめ
・長谷川博己は父親の都合で1年間イギリスで生活したことがある
・長谷川博己と父親との関係は最終的に良好だった
以上、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
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