長谷川博己の父・長谷川堯は大学教授!建築界隈で有名すぎる偉大な父親とは?

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出典:Pinterest

 

長谷川博己さんは、中央大学文学部を卒業しています。中央大学と言えば、難関大学MARCHの一角ですね。長谷川さんは高学歴だったのです。

 

高学歴な長谷川さんですが、実はお父さんは大学教授でした。お父さんは早稲田大学を卒業して学者になった方ですから、長谷川さんが高学歴なのもうなずけます。

 

そんな長谷川さんのお父さんは、長谷川堯(はせがわたかし)さん。建築評論家であり、学術分野で受賞もしている正統派の大学教授です。

 

では、長谷川さんのお父さんが、どんな人なのか詳しく見ていきましょう!

 

長谷川博己の父・長谷川堯は大学教授だった!

出典:目黒区美術館ホームページ

 

こちらが長谷川博己さんの父である長谷川堯さんです。

 

実は、建築界隈ではかなり有名な方のようで、その界隈では「長谷川博己の父が大学教授」という認識の仕方ではなく「長谷川堯の息子が俳優をやっている」と認識しているみたいです。

 

 

ちなみに、長谷川博己さん一家は妹が1人いる4人家族でしたが、母と妹は一般の方みたいです。

それでは、父・長谷川堯さんのプロフィールを確認していきましょう。

 

父・長谷川堯のプロフィール


出典:FACTOPI

名前:長谷川堯(はせがわたかし)
生誕:1937年6月16日
死没:2019年4月17日(享年81歳)
出身:島根県松江市
死因:がん
学歴:早稲田大学第一文学部卒業
経歴:武蔵野美術大学名誉教授
肩書:建築史家、建築評論家

 

お名前の「堯」という字はたかしと読みます。難しい漢字ですね。

 

仕事はいわゆる学者であり、武蔵野美術大学で【助教授→教授→名誉教授】と出世していきました。専門は建築史とのことです。

 

ちなみに、建築史家とは「建築の歴史を研究する人」のことで、決して「建築家」ではありません。建築というと、どうしても素人からすると「え? 一級建築士とか、そういう感じなの?」と思ってしまいますよね。

 

でも、建築家とか建築士というのは「実際に家を建てるための設計をする人」であり、実務をこなす職業です。学者や研究者とは別の仕事内容ですね。似ていますが、建築家と建築史家は似て非なるものです。

 

ちなみに、具体的な身長は公表されていませんが、「朝日新聞デジタル」の記事では、次のように長谷川堯さんが紹介されていました。

 

 長身でダンディー、そして柔らかな声が忘れられない。

引用元:朝日新聞デジタル

 

長谷川博己さんは「182cm」と高身長であることが有名ですが、それは「長身でダンディー」な父親の遺伝子を受け継いでいるからかもしれませんね。

 

長谷川博己の父・長谷川堯は2019年に死去

出典:朝日新聞デジタル

 

偉大な父を持った長谷川博己さんですが、残念ながら、父・長谷川堯さんは2019年4月、がんのため亡くなりました。享年81歳でした。

 

新聞の訃報欄にも掲載され、長谷川博己さんの父であることが改めて話題となりました。

 

長谷川博己の父・長谷川堯の業績

出典:朝日新聞デジタル

 

それでは、父・長谷川堯さんの学者としての業績を確認していきましょう。

 

まず著作ですが、単著で17冊あります。共著1冊を加えると、全部で18冊です。

 

これは、かなり多いです。理系の学者は著作よりも論文が重視されますが、評論家のような文系の学者の場合は逆で、論文より著作が優先されます。単著が多い学者は有能な学者と評価されるのです。

 

単著が1冊も無い「なんちゃって大学教授」は山ほどいますからね。共著ばっかりで単著を書かない(書けない)学者も大勢います。そう考えると、長谷川堯さんは非常に立派な学者だったのだろうと思います。

 

 

長谷川堯さんは学術賞も受賞しており、1975年に『都市廻廊』で毎日出版文化賞、1979年には『建築有情』でサントリー学芸賞を受賞しています。

 

ちなみに、サントリー学芸賞は学術賞の中でも、かなり有名な賞です。おもしろい作品が結構あったりします。

 

建築史家・長谷川堯に対するネット上の声

 

長谷川堯さんは建築史家として、かなり影響力を持っていた方のようで、Twitterを検索すると、いろいろな声を聞くことができます。中には、実際に大学で講義を受けたことのある人も…。

 

 

長谷川博己さんは「お髭ダンディ」という感じではありませんね笑。

 

長谷川博己は父親のサバティカルで1年間イギリス暮らし

出典:気になる話題と最新情報ニュース

 

実は長谷川博己さん、小学3年生のとき、父親の都合で1年間イギリスに住んでいた経験があります。詳しいことは明らかにされていませんが、父親が大学教授だったことから、これはサバティカルだったと思われます。

 

サバティカルとは、大学教授に与えられる1年間の長期休暇のことです。長期休暇と言っても、実際に休むわけではなく、海外の大学に在籍しながら自身の研究に注力する制度です。日本では大学教授特有の制度です。

 

長谷川博己さんは、こうした父親の都合で、イギリスの小学校に入学させられ、言葉が通じない中で集団生活を送る羽目になりました。長谷川博己さん自身は「行きたくない!」と駄々をこねていたそうですが笑。

 

でも、そのおかげか、長谷川博己さんは映画『シンゴジラ』で流暢な英語を披露しています。裏を返せば、父親が大学教授でなかったら、こんな1年間だけイギリス生活というのはあり得なかったでしょうね。

 

 

ちなみに、長谷川さん一家はロンドン郊外のウェンブリースタジアムに住んでいたそうですが、そこは労働者階級の地区で、インド人やパキスタン人など外国人の子供が多い地域だったみたいです。

 

なんでも、長谷川博己さんはインド人とはうまく付き合えたそうですが、パキスタン人とはよくケンカしていたそうです笑。

 

長谷川博己と父の関係は?会社員を辞めたときに対立

出典:Pinterest

 

では、長谷川博己さんと父・堯さんとの関係は、どんな感じだったのでしょうか?

 

実は、長谷川博己さんは大学卒業後、会社員になったのですが、役者の道を進むために1年で退職。そのとき、父・堯さんと大ゲンカしたそうです。

 

 「当時、お父さんは会社を辞めて役者になることを猛反対したそうです。お金がなかった長谷川さんは都内の実家に住みながら役者の稽古に励んでいたのですが、お父さんと顔を合わせるたびに言い合いになるので、次第に会っても口をきかなくなったそうです」(前出・長谷川の知人)

引用元:NEWSポストセブン

 

一時期は父親と口もきかなくなった長谷川博己さんですが、2010年のドラマ『セカンドバージン』で、例の鈴木京香さん演じる17才年上の女性と不倫する役でブレーク。2011年には、ドラマ『鈴木先生』も話題となって、人気俳優の仲間入りをしたところ、父親との関係も改善されていったようです。

 

また、父・堯さんの晩年には、頻繁に実家に帰っていました。

 

 「長谷川さんは時間さえあれば実家に帰ってきていました。やはり病気が心配だったんでしょう。当初は役者を反対していたお父さんでしたが、晩年は長谷川さんの出演作も見ていたと聞きます。自慢の息子だったと思いますよ」(近隣住民)

引用元:NEWSポストセブン

 

父・堯さんにしても、長谷川博己さんが自慢の息子であることを大学の学生に漏らしていたようです。

 

 

一度は溝ができた親子関係ですが、お父さんが亡くなる前に修復できて本当によかったですね。

 

長谷川博己が「なんでも鑑定団」で父親の浮世絵を出品

 

そもそも、長谷川博己さんと長谷川堯さんが親子であると発覚したのは、2011年5月24日放送の「開運!なんでも鑑定団」でした。長谷川博己さんが父・堯さんの骨董品を持って出演したのです。

 

 

長谷川博己さんが持ってきたのは、三代目歌川広重による浮世絵。なんでも、父・堯さんが自分の本の表紙に使うために、1990年頃に購入したものなんだとか。このときに父が建築評論家なんですと明かしました。

 

気になる鑑定結果は、長谷川さんの予想「10万円」を超えた25万円でした。自宅に戻ると、父・堯さんと喜んだそうです。微笑ましいですね。既に関係が修復していたことがうかがえます。

 

まとめ

・長谷川博己の父・長谷川堯は建築界隈で有名な大学教授だった
・長谷川博己は父親の都合で1年間イギリスで生活したことがある
・長谷川博己と父親との関係は最終的に良好だった

 

以上、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!

 

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